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【アラベスク】  第4章 男ゴコロ



第2節 銀梅花の香り [9]




 女性用のシャンプーなら家にもある。母や緩の使うシャンプーも、それなりに香りがする。
 だが、ローズやグレープフルーツなどといった、香りはごく一般的なものだ。銀梅花の香りのシャンプーなど、聞いたこともない。

「身の回りに気を使うなど、頭空っぽのバカがすることだ」
「私はそれほど暇人ではない」

 口癖のように言っていた美鶴の髪の毛から、なぜ銀梅花の香りがするのか―――
 信じたくないっ
 だが、どれほど顔を摺り寄せても、その香りはローズでも桃でもオレンジでもレモンでもない。
 あの時、一度だけ出会った、甘いのになぜだか息苦しい香り――――
 言いようの無い苛立ちに、聡は知らず両腕に力を入れた。
「うっ」
 胸の中から発せられるうめき声。
「やめろっ」
 掠れるような声。
「何やってんだよ」
「………… 何が?」
 ぼんやりと呟くような聡の声に、美鶴は憮然と、だが歯切れ悪く答える。
「手 ……… お前の指っ …………」
 指?
 言われて初めて、自分の指が落ち着きなく動いているのに気づく。
 苛々して無意識に動かしていたのだろう。
 何やってんだろうな?
 自分に呆れ、改めて美鶴の背中に回した指先に神経を集中してみた。

 ――――― あっ

 ようやく、美鶴の言わんとする意味を悟る。
 指先が知らずに弄ぶ。
 中学の時、クラスの男子の間で青年向けDVDが貸し借りされていた。順番を心待ちにするほどではなかったが、やはり聡も男だ。見てみたいという興味はあった。
「お前も観るか?」
 躊躇(ためら)ったが、受け取ってしまった。
 その中で、男の指がいとも簡単に金具を外していた。人差し指と親指でつまんで弾けば、それは簡単に外れてしまった。
「あっ」

 おっ おおおっ 俺はっ 俺はいったい

 何をやってるんだぁぁぁぁぁっ!

 薄っぺらいTシャツ。その下の金具。右手の人差し指と親指が摘んだまま、それを放すこともできずに身が固まる。
 いかんだろうっ! これはゼッタイにダメだろうっ!
 何事もなかったかのように自然に手放せばよいものを、あまりに動揺して頭がまわらない。
 おいおいおいっ 聡クン ちょっとコレはマズいんじゃないのかい?
 落ち着かせようと己を茶化すも、まったく効果はあらわれない。
 そもそも、美鶴が腕の中にいるというだけでもかなり浮き足立っているのだ。それに銀梅花の香りが―――――
 先ほどの美鶴の発言。
 ひょっとして、今の俺って完全に誤解されてる?
 ちょっと待てっ それはないってっ 俺は別にコレをどうにかしようとか、そういうワケじゃあなくってだなぁ〜……
 とりあえずどう言い訳しようか、グチャグチャと捜す。だが、適当な言葉が見つからない。
 いっ いや、でもこれは誤解されるよな。美鶴だって動揺するよな。
 下手な言い訳はよそう。そもそも、悪いのは俺なんだし。
 俺が悪い。うん 俺が悪い。
 ここはまず、きっちり謝るべきだろう。
 聡はゴクリと唾を飲み込み、できるだけさり気なく口を開いた。
「わる………」

「サイテーだな」

 ―――――――っ!

 目の前が、真っ暗になる。







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