女性用のシャンプーなら家にもある。母や緩の使うシャンプーも、それなりに香りがする。
だが、ローズやグレープフルーツなどといった、香りはごく一般的なものだ。銀梅花の香りのシャンプーなど、聞いたこともない。
「身の回りに気を使うなど、頭空っぽのバカがすることだ」
「私はそれほど暇人ではない」
口癖のように言っていた美鶴の髪の毛から、なぜ銀梅花の香りがするのか―――
信じたくないっ
だが、どれほど顔を摺り寄せても、その香りはローズでも桃でもオレンジでもレモンでもない。
あの時、一度だけ出会った、甘いのになぜだか息苦しい香り――――
言いようの無い苛立ちに、聡は知らず両腕に力を入れた。
「うっ」
胸の中から発せられるうめき声。
「やめろっ」
掠れるような声。
「何やってんだよ」
「………… 何が?」
ぼんやりと呟くような聡の声に、美鶴は憮然と、だが歯切れ悪く答える。
「手 ……… お前の指っ …………」
指?
言われて初めて、自分の指が落ち着きなく動いているのに気づく。
苛々して無意識に動かしていたのだろう。
何やってんだろうな?
自分に呆れ、改めて美鶴の背中に回した指先に神経を集中してみた。
――――― あっ
ようやく、美鶴の言わんとする意味を悟る。
指先が知らずに弄ぶ。
中学の時、クラスの男子の間で青年向けDVDが貸し借りされていた。順番を心待ちにするほどではなかったが、やはり聡も男だ。見てみたいという興味はあった。
「お前も観るか?」
躊躇ったが、受け取ってしまった。
その中で、男の指がいとも簡単に金具を外していた。人差し指と親指でつまんで弾けば、それは簡単に外れてしまった。
「あっ」
おっ おおおっ 俺はっ 俺はいったい
何をやってるんだぁぁぁぁぁっ!
薄っぺらいTシャツ。その下の金具。右手の人差し指と親指が摘んだまま、それを放すこともできずに身が固まる。
いかんだろうっ! これはゼッタイにダメだろうっ!
何事もなかったかのように自然に手放せばよいものを、あまりに動揺して頭がまわらない。
おいおいおいっ 聡クン ちょっとコレはマズいんじゃないのかい?
落ち着かせようと己を茶化すも、まったく効果はあらわれない。
そもそも、美鶴が腕の中にいるというだけでもかなり浮き足立っているのだ。それに銀梅花の香りが―――――
先ほどの美鶴の発言。
ひょっとして、今の俺って完全に誤解されてる?
ちょっと待てっ それはないってっ 俺は別にコレをどうにかしようとか、そういうワケじゃあなくってだなぁ〜……
とりあえずどう言い訳しようか、グチャグチャと捜す。だが、適当な言葉が見つからない。
いっ いや、でもこれは誤解されるよな。美鶴だって動揺するよな。
下手な言い訳はよそう。そもそも、悪いのは俺なんだし。
俺が悪い。うん 俺が悪い。
ここはまず、きっちり謝るべきだろう。
聡はゴクリと唾を飲み込み、できるだけさり気なく口を開いた。
「わる………」
「サイテーだな」
―――――――っ!
目の前が、真っ暗になる。
|